障害年金を諦めた人、諦めざるを得なかった人へ

この記事の内容

障害年金は、ある意味で非情な制度です。

年金の納付要件を満たしていなかったり、初診日が認められなかったりすれば、どんなに重い障害があろうと受給できません。

請求しようと思ったけどできなかったとき、請求したけど不支給になったとき、その落胆はさぞかし大きなものだろうと思います。

ただ、障害年金の支給・不支給では、人生は終わりません。障害年金ごときで終わるほど、あなたの人生は軽いものではありません。

むしろ、これが好転の契機になることだってあり得ます。人間万事塞翁が馬です。

ダメなものはダメ

障害年金は、基本的に保険制度です。保険制度である以上は、支給のための要件があります。その支給要件を満たせば支給され、満たさなければ支給されません。法律上当然のこととして、支給・不支給が決定されます。そのため、ときに非情な判断が下されることになります。

ただ、お金がもらえるかもらえないかは死活問題で、生活に直結します。気持ちのうえでも、受給できるかできないかで、前向きになれるかなれないかが大きく変わります。受給できないことがわかれば、気分が非常に落ち込んでしまうことになります。

しかしながら、ダメなものはダメなのです。

さっさと諦める

審査請求や再審査請求、あるいは裁判によって結果が覆るような場合は別として、諦めざるを得ないときはさっさと諦めた方がよいと言えます。たとえば納付要件を満たしていない場合等、どうしようもないときはどうしようもないのです。

「私よりも軽い障害の人がもらっていて、なんで私はもらえないんだ」と恨みがましく思うこともあるでしょう。その考えはごもっともです。本当にごもっとも。でも、ダメなものはダメ…そういうルールなのです。

それは不完全なルールかもしれませんし、将来的には変わっていくルールなのかもしれません。しかし、少なくとも現状においては、どうにもならないことです。

そうであれば、さっさと諦めて、たかが障害年金ごときに縛られず、違う方向にエネルギーを費やした方が賢明です。ただでさえ人生は短く、あなたのエネルギーは限られているのですから。

生活できれば何でもいい

たとえ障害年金をもらえなくても、何らかの形でお金が入ってきて、それで生活を維持していけるのであれば、それで良いのです。自分の収入にこだわる必要はありません。

配偶者や子の収入で生活しても良いでしょうし、親の老齢年金で生活しても良いのです。生活保護だって構いません。生活することができれば、お金の出どころなんてどこでも良いのです。

大切なのは生活していくこと、生きていくことです。お金はそのための手段に過ぎません。

働けるのが一番

自分で働いてお金を得ることができれば、それに越したことはありません。

仕事をすることで得られる充実感や達成感、仕事をしていない人には決して得られない充実感や達成感というものが、必ずあります。

休日だってそうです。働いているからこそ、休日の有難さがわかります。働いていない人には、絶対にわかりません。

それに、収入の面でも働いている方が有利です。年金額の何倍ものお金を得ることができます。

仮に、障害年金をもらえなかったあなたが将来的に働くことができるようになり、年金の何倍ものお金を得ることができるようになったとします。

もしそうなれば、それは、障害年金をもらえなかったからこそ、そのような状況を手に入れることができたと言えるのです。

可能性を自ら捨てない

生きている限り、そこには可能性というものがあります。夢も希望も何もない生活にも、可能性だけはあります。なぜなら、生きていることは可能性そのものだからです。死なない限り、可能性はあるのです。

その可能性を自ら捨ててはいけません。禅問答のようですが、捨てたら可能性がなくなるからです。

要するに、何がどう転んでどうなるかなんて、誰にも絶対にわからないのです。今ひどく落ち込んでいるあなたが、1年後には充実した毎日を過ごしているかもしれないのです。

これまでもダメだったからこれからもダメだろうというのは、単なる推測です。何となくそうだろうと思い込んでいるだけ、あるいは、ダメじゃないかもと思ってダメだったときに落胆が大きくならないよう、保険をかけているだけです。

あなたが羨ましいと思っている人たちが、1年後には地獄を見ているかもしれません。逆に、いま地獄を見ているあなたが、1年後には他人に羨ましがられているかもしれません。

良い兆しだと思ったことが悪い結果につながり、悪い兆しだと思ったことが良い結果につながる。結局、そんなもんなんだろうと思います。そうです、その程度なのです。確かなものなんて無いに等しく、極めて不確かなものだらけなのです。

ただ、不確かなものだらけという前提では生きていけないため、不確かなものを確かなものとみなして日々を過ごしているだけなのです。

人間万事塞翁が馬。良い出来事だと思ったことが悪い結果につながり、悪い出来事と思ったことが良い結果につながる。ここは、そういう世界です。

まとめ

障害年金を請求しようとして、請求できないとわかったとき。あるいは、請求したけど不支給になったとき。その際の落胆は非常に大きなものであろうと思います。

しかしながら、生きている限り、今後何がどうなるかは誰にもわかりません。今の落胆が明るい未来につながるかもしれませんし、つながらないかもしれません。つながらないかもしれませんが、つながるかもしれません。可能性は、誰にもわかりません。そして、誰にでも可能性があります。

無理に前を向く必要はありませんが、必要以上に後ろ向きになる必要もありません。フラット、あるいはニュートラルを心掛け、内なる可能性を感じてみましょう。

胸に手を当ててみてください。鼓動を感じますか?感じれば、それが可能性です。